「非電気的な情報インターフェース」。
電力を使用せずにプログラマブルな環境を構築し、入力情報に基づいて結果を出力する。例えば粘菌やDNAを活用したり、流体の物理的特性を利用して計算結果を導く試みがさまざまな場所で研究されている。安が現在、注力している情報提示技術も電力に依存しない、新しい形のインターフェースである。
「私は現在マグネットシートを使った情報提示技術の研究に注力しています。ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)と呼ばれる領域が研究対象で、人間とコンピュータの相互作用や人間にとって使いやすいインターフェースを検討する研究です。デジタルデータをもとにしたものづくり(デジタルファブリケーション)を拡張していこうかと考えた場合、例えば3Dプリンタに使われるマテリアルが何であるかは必ずしも限定される必要はありません。むしろその幅が広いほどものづくりの可能性が広がっていくように、コンピュータも必ずしも電気的な現在の計算機の形である必要はなく、その性質がより広範にわたるほど、さまざまな機能の可能性も広がっていくと考えられています。 計算を行うためのさまざまな動力や素材がある中で、私が研究しているのはマグネットシートを使った情報提示技術です。 マグネットを埋め込んだ媒体が入力したS極N極の磁場パターンによって、くっついたり、反発したりする特性を利用して「ボコボコ」とした感触を伝えるのですが、この「ボコボコ」に情報をもたせます。 この触覚情報提示技術を『マグネタクト(Magnetact=Magnet磁石+Tactile触覚)』と名付け、研究を行っています」
世界の情報提示技術を変える
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コミュニケーション科学基礎研究所
安 謙太郎
新しいコミュニケーションを生み出すマグネットシートを使った情報提示
情報処理技術の進歩により、私たちの日常のコミュニケーションは劇的に進化している。特にインターネットを介した他者との接触は、著しい進展を遂げていると言えるだろう。しかし、デジタルに依存しない現実世界でも、人々の心に響くコミュニケーションの可能性はまだまだ残されており、それによって従来のコンピュータでは実現が難しいコミュニケーションが生まれる可能性もあるだろう。
01.情報提示を非電気的に
02.シンプルなおもちゃで新鮮な体験
磁性を利用して「ボコボコ」した感触を生み出していく「マグネタクト」。指を磁石に置くと、与えられるS極とN極のパターンの違いにより、磁石が異なるリズムで動く。事前にマグネットシートに情報を書き込み、それを重ね合わせることで磁石に与えられる断続的な力が基本的原理になっており、このパターンの書き込みが情報を生み出すための「プログラム」となっている。
磁場パターンによって力場をプログラム(pro=前もって、gram=書き込む)し、それを実際に動かし体験してみる。事前に意図したプログラムの実行結果として触覚情報を得る体験は、コンピュータの作業概念を体験・学習できる機会になると、安は考えていると話す。
「社外のプロジェクト協力者であるクリエイターの石川将也さんが、マグネタクトを用いて、磁石シートと厚紙を紙でつなぎあわせるだけで「パクパク」「バタバタ」といった動きをする生き物『マグネタクトアニマル』という玩具キットを作成してくださいました。ただのおもちゃとして、「動くね」「面白いね」だけではなく、その裏側にあるテクノロジーの重要性を強調し、コロナ禍でもネットを通じた科学ワークショップで多くの子どもたちが楽しめる機会を提供しました。高価なものではなく、シンプルなものづくりを通して、新鮮で個性的な体験を届けることができたのではないかと思っています。従来技術でも帯状に磁場パターンが書き込まれているストライプパターンの磁性シートは比較的容易に作成することができていましたが、マグネタクトでは、磁性シートに任意の磁場パターンを書き込む技術を提案し、シンプルな触覚提示に応用しました。さらに現在では、シートを複数枚積層することで複雑なパターンを瞬時に生成する手法を確立し、そのシートの厚みや格子パターンなどを検討しながら、さらに新しいツールの作成を進めています。例えば「マグネシェイプ」という名前の磁石を内蔵したピンディスプレイは、磁力を利用してハートマークや波型など、さまざまな形状を提示することができます。こうしたシンプルな仕組みを通じて、その先に科学への興味や感情の共有などを引き出すコミュニケーションツールをこれからも生み出していきたいと考えています」
03.非電気的マテリアルが生み出す未来
マグネタクトの磁場制御技術の確立は、実質的にコンピュータ的な原理に根差しており、磁場パターンの書き込みはプログラミングと相似的である。そして、その動きを通じたコミュニケーションは、コンピュータやスマートフォンを介したコミュニケーションと類似して考えることができる。安はこうしたマグネットを用いた、非電気的な情報掲示技術の確立を通して、どんな世界をつくり出していきたいと考えるのだろうか。
「私たちの生活の中の根幹にはやはり電気があって、それでさまざまなデバイスを動かして生活しているというのは間違いないんですね。ただ、そんな中で非電気的な情報提示ツールの何が良いかというと、この技術が発達すればエネルギー問題から脱却するということもそうですし、深海のような極限地でも動作可能なデバイスも作成できるようになるかもしれない。こうした多様なマテリアルが生まれ、それを上手く組み込んだインタラクティブなデバイスオブジェクトが生まれることによって、人間の可能性が拡大することを期待しています。例えば「天空の城ラピュタ」に出てくる飛行石や、「千と千尋の神隠し」に出てくる式神のように、入力に応じて役割を果たすマテリアルが実現される未来があるかもしれません。私が研究している磁性材料を用いた磁場制御・ 情報提示技術も、多くの人にものをつくる手段を与えながら、既存の「コンピュータ」という概念を拡張し、コミュニケーションの可能性を広げていくのではないかと考えています」
※記事本文中の研究所名や社員の所属組織などは取材時のものであり、
旧研究所名の場合がございます。